これからの人生の話をしよう

平凡なリーマンが綴る 人生についての考察ブログ

TIME IS MONEYの罠

「時は金なり=Time Is Money」


この言葉を残したのは、アメリカ建国の父 ベンジャミン・フランクリンだ。

 

人が使える時間は限られている。だから、貴重な時間を浪費することなく、有効活用しようというのが、この言葉の趣旨だ。一見すると、正しいように聞こえる。しかし、この言葉には落とし穴がある。この言葉を裏打ちしているのは、資本主義の精神。つまり、「おカネを生み出すことこそ善」という考え方である。


もし、この考え方を盲信した場合、どんな弊害があるだろうか。例えば、こうだ。


「おカネを生み出さない時間の使い方は悪」であるから、究極的には、睡眠している時間すら悪ということになる。結果、睡眠することに罪悪感を感じてしまう。最悪の場合、不眠症になり、精神病を発症してしまうかもしれない。


そんなことになってしまっては、元も子もないだろう。

 

では、次の例はどうだろう。


「睡眠をしないと仕事の効率が下がる。」「だから、睡眠はしっかり取らなければならない。」

 

頭を使うクリエイティブな仕事をしている人なら、一度は聞いたことがある言葉だと思う。これも、一見すると、正しいように聞こえる。しかし、この言葉にも落とし穴がある。


結局のところ、「よりおカネを稼ぐために、効率的に時間を使う」というイデオロギーから抜け出していないのだ。


「時は金なり=Time Is Money」という言葉は、私たちの潜在意識に「稼ぎを最大化するために、時間を使わなければならない」というイデオロギーを刷り込む。もし、このイデオロギーが正しいものであれば、何の問題もない。しかし、現実的にはそうではないから問題がある。


「おカネ」というものについて考えよう。


私たちがおカネを稼ぐには、モノやサービスを提供する必要がある。モノやサービスの対価として、おカネが支払われるからだ。では、こうした活動はどうだろう。対価として、おカネは支払われるだろうか。


「教養を深める」「友情・愛情を育てる」「精神活動に没頭する」


いずれの活動も、私たちの人生を豊かにするものだ。しかし、おカネが支払われることはない。では、これらの活動が悪かというと、そうではない。そもそも、「時は金なり=Time Is Money」というのなら、おカネを生み出すためには動くことができない人の存在は認められない。


例えば、障害を持つ人々について考えよう。彼・彼女らは、他者の助けがあって初めて生活できる。自らモノやサービスを生み出すことはできないから、おカネを生み出すこともできない。「時は金なり=Time Is Money」の基準に照らせば、彼・彼女らの存在価値はないに等しい。


しかし、誰がそんなことを堂々と主張できようか。すぐさま人権団体から糾弾を受けるだろう。糾弾を受けないにしても、何か大事なものを見落としているモヤモヤ感が消え去ることはない。


結局、「時は金なり=Time Is Money」というのは、合理主義者の暴論なのだ。


この基準を全人類に適用することはできないし、個人にしても生涯を通じて適用することもできないだろう。しかし、多くの人は「時は金なり=Time Is Money」を無意識に実行しようとし、精神的に疲弊している。


世界的に、おカネを中心とした価値観に疲弊しているにも拘らず、なぜいまだに旧来の価値観に引きずられなければならないのだろうか。


私たちは、合理主義者が強要してきた価値観に抗い、新たな価値観を見出さなければならない。

 

おカネに囚われず、豊かな人生を送るために。