これからの人生の話をしよう

平凡なリーマンが綴る 人生についての考察ブログ

古き良き日本よ 崩壊しないでくれ

先の記事の内容は、本来書く予定だったものから大きく外れてしまった。なので、今回の記事でそのことについて記したいと思う。

 

今現在、自己啓発が流行っている。

 

7つの習慣」だの「嫌われる勇気」だの「GRIT」だの。恥ずかしながら私も、これらの本に傾倒していたことがあった。

 

なぜこれほど自己啓発がもてはやされているのか?ズバリ、社会が不安定化しているからだ。

 

これまでの日本人は、右肩上がりに成長し、将来を楽観視してきた。しかし、高度経済成長期が終わった頃から20年以上デフレが続いた。そして、一億総中流と言われた時代と一転し、勝ち組と負け組がはっきりと分かれる時代に突入したのだ。誰があえて負け組になることを選ぼうか?皆、勝ち組になることを目指し、自己研鑽を重ねるようになった。

 

この社会情勢にぴったりと一致するのが、欧米流の自己啓発である。

 

この自己啓発は、もともとプロテスタントの予定説が源流だ。「あらかじめ、神に選ばれたものしか天国へ入ることはできない」という予定説は、実に無慈悲なものである。神を信じる人々は、この教えを聴いて落胆した…かというとそうではない。なんと規律正しく、内的なモチベーションに従い、努力を積み重ねるようになったのだ。いったいなぜか?それは、「私は神に選ばれた存在である」と信じ込むためである。神に選ばれるような人間は、勤勉かつ努力家かつ倫理を重んじ、他者へ貢献するような人格的に優れた人物である。だから、この私が天国に行くと信じるためには、それに近づくように努力する他なかったのだ。

 

というわけで、自己を啓発し、偉大な人物になるためには、欧米流の自己啓発がぴったりなのである。そして、この考え方は、仕事にも通ずる。「天職」といった考え方は、まさにプロテスタンティズムの産物である。「天に定められた仕事に邁進し、偉業を成し遂げることこそ、神に認められし私がなすべきことである」といった風だ。

 

日本でも勝ち組を目指す以上、自己を啓発しないワケにはいかない。内的なモチベーションに従い、自らを成長させる必要があるからだ。

 

そこで、自己啓発の風が吹くようになった。ただし、日本には欧米のような神の存在はない。この違いが致命的だった。神不在の自己啓発は、残酷な結果を生み出すこととなる。

 

「頑張れないヤツは人間のクズだ」

 

極端に言えば、このような価値観がはびこることになる。ダラダラしているのがなんとなくダメなことだと思い込まされる社会になってしまった。リラックスしようがない窮屈な社会だ。資本主義も相まって、完全競争社会に突入した。寝ても覚めても努力を強制される私たちは、息絶え絶えだ。

 

元来、天変地異に運命を左右されてきた日本人は、場への適応を得意とする民族である。逆に、内的なモチベーションをもとに、将来の計画を立て、コツコツとこなすような民族ではない。にもかかわらず、現在の社会構造的に、内的な啓発を求められる。

 

なんと嘆かわしいことだろう。しかし、この構造さえ把握していれば、無理をすることもなくなる。頭の片隅に置き、精神の安寧を確保したい。