失われた尊厳を取り戻せ
私たちは、不安定な存在だ。
常に自分を強く保てる人は稀である。
だから、人は他人と繋がることを欲する。
1人でいるより、2人でいるほうが安心する。
それが、3人になったら、もっと良い。
そうやって、私たちの祖先は、〈社会〉というものを作り上げてきた。みなが連帯し、支え合い、助け合う共同体。そんな〈社会〉が機能するためには、いくつか条件がある。
1つは信用だ。
共同体は私たちに、他者への貢献をソフトに強いる。そんな中、他者が私のために貢献してくれなければ、私は一方的に他者に尽くすことになる。これでは不利益が生じる。
不利益が生じる状態は、生存戦略上不利だ。だから、私に尽くしてくれない他者に、あえて貢献しようと思う者は少ない。私があの人に貢献すれば、あの人は私に貢献してくれると「信用」できなければ、その人は貢献を受けることができない。逆もまた然りだ。
だから、信用のない者は、自然と共同体からはじき出される。結果、信用し合える者のみが残り、円滑な社会が構築される。(ここでいう信用とは、意図への信用ではなく、行動への信用である。)
もう1つは承認だ。
「あなたは、この共同体に居て然るべき存在である。」
他者に私の存在を欲望されることは、私の尊厳を強化する。共同体に属することは、命の保証を得たも同然だからである。尊厳とはつまり、「私は私のままで生きる価値がある」ということだ。尊厳を持った人間は、めったに不安定化しない。「私は生きる価値のある人間だ」と確信しているからだ。
さて、前置きが長くなってしまった。いよいよ本題に移りたいと思う。
現代の社会では、尊厳が失われつつある。常に、私は誰かと交換可能な存在ではないかと不安にさせられる。
...書くのに疲れてしまった。説明を省くと、合理主義、功利主義、資本主義…こういったものが、私たちの尊厳を毀損している。尊厳を取り戻すためには、どうしたらよいか。2つアプローチがある。
1つは、自己強化。もう1つは、他者からの「いいね」(承認)をもらうことである。他者からのいいねを貰う方法は粗方わかるだろうから、自己強化のみについて記したい。
自己承認。自己肯定。セルフイメージを向上させるための行動。このくらいか。
かなり雑になってしまったが、メモ代わりということで。なんでこんなものを書いたかというと、尊厳を失った人の世話をすることになったからだ。
私と関わった以上、絶対に尊厳を取り戻させてみせる。