失われた尊厳を取り戻せ
私たちは、不安定な存在だ。
常に自分を強く保てる人は稀である。
だから、人は他人と繋がることを欲する。
1人でいるより、2人でいるほうが安心する。
それが、3人になったら、もっと良い。
そうやって、私たちの祖先は、〈社会〉というものを作り上げてきた。みなが連帯し、支え合い、助け合う共同体。そんな〈社会〉が機能するためには、いくつか条件がある。
1つは信用だ。
共同体は私たちに、他者への貢献をソフトに強いる。そんな中、他者が私のために貢献してくれなければ、私は一方的に他者に尽くすことになる。これでは不利益が生じる。
不利益が生じる状態は、生存戦略上不利だ。だから、私に尽くしてくれない他者に、あえて貢献しようと思う者は少ない。私があの人に貢献すれば、あの人は私に貢献してくれると「信用」できなければ、その人は貢献を受けることができない。逆もまた然りだ。
だから、信用のない者は、自然と共同体からはじき出される。結果、信用し合える者のみが残り、円滑な社会が構築される。(ここでいう信用とは、意図への信用ではなく、行動への信用である。)
もう1つは承認だ。
「あなたは、この共同体に居て然るべき存在である。」
他者に私の存在を欲望されることは、私の尊厳を強化する。共同体に属することは、命の保証を得たも同然だからである。尊厳とはつまり、「私は私のままで生きる価値がある」ということだ。尊厳を持った人間は、めったに不安定化しない。「私は生きる価値のある人間だ」と確信しているからだ。
さて、前置きが長くなってしまった。いよいよ本題に移りたいと思う。
現代の社会では、尊厳が失われつつある。常に、私は誰かと交換可能な存在ではないかと不安にさせられる。
...書くのに疲れてしまった。説明を省くと、合理主義、功利主義、資本主義…こういったものが、私たちの尊厳を毀損している。尊厳を取り戻すためには、どうしたらよいか。2つアプローチがある。
1つは、自己強化。もう1つは、他者からの「いいね」(承認)をもらうことである。他者からのいいねを貰う方法は粗方わかるだろうから、自己強化のみについて記したい。
自己承認。自己肯定。セルフイメージを向上させるための行動。このくらいか。
かなり雑になってしまったが、メモ代わりということで。なんでこんなものを書いたかというと、尊厳を失った人の世話をすることになったからだ。
私と関わった以上、絶対に尊厳を取り戻させてみせる。
春のナンパ祭り第一弾の結果
今、絶賛仕事中。しかし、あまりやることもないので、ブログ記事を書くことにする。
昨日、地元から帰省し、そのまま新宿でナンパを行った。
結果は1LG。ただ、LGだけでは終わらせたくなかった。色白童顔女子2の食いつきがものすごく良かったので、しばらく新宿に待機することにしたのだ。解散してから40分くらいしてLINEを送る。
「急な仕事が入って、カフェでカチャカチャやってる。もし時間空いたら連絡して。」
20分位しても既読がつかなかったので、帰ることにした。あまり遅くまで待機していても、不自然だ。また日程を改めて遭うことにしよう。そうして、家に帰り、シャワーを浴び、歯磨きをしていると、色白童顔女子2から連絡が。
「今、友達と解散した!明日仕事だから、また後日ご飯いきましょう^^」
OK、俺もそうした方が良いと思う。とLINEを返そうとしたが、着信履歴も残っていた。ん?と思う。このパターンは前に経験がある。
女性から急な通話が入る時は、寂しがっている可能性が高い。だから、必ず電話すべきなのだ。折り返そうかと迷っているときに、相手からもう一度着信があった。歯磨きしている最中だったが、迷わず出る。
「ちょっと飲み足りないかも…」と相手からの飲み打診。
うまく行き過ぎだな、と我ながら思った。ただ、このチャンスを逃すわけにはいかない。即答でOK。「タクシー使えば行けるから」というと「カッコイイ…//」と反応が帰ってくる。おいおい、出来上がるには、まだ早いぞ。
タクシーを捕まえることができなかったので、終電で新宿へ向かうことにした。途中、遅くまで空いているbarを検索する。待ち合わせ場所近くに、レンガが印象的なおしゃれなbarがある。そこにしよう。
集合場所につくと、2が1人でぽつんと待っていた。シャツ一枚で相変わらず色気がすごい。
合流して、検索したbarに向かう。入り口のレンガで既にテンションがあがっている2。ただ、このbar、既にラストオーダー終了だったよう。3時まで営業と書いてあったのに、裏切られる。
このままだとグダる。どこかいいところはないか?一番最初に思いついたのが、以前友達といった安いbar。あそこなら確実に空いている。ただ、それほどおしゃれじゃないのがネック。
…まぁ、2もかなり出来上がっているし、特に問題ないと判断。すぐさまプランを変更して、そのbarへ向かう。時間は24時を回っていた。さすがに夜は冷え込む。2は、シャツ一枚だったから寒そうだった。
「シャツ一枚しか着てないの。」
そうか。やっぱ一枚しか着てなかったのか。どんな思考回路していたらその服装になるんだ。ただ、これだけは言わせてほしい。
「そういうのキライじゃないぞ!むしろ、良い!正しい!」
心の中で叫んだ。寒さでテンションが落ちると困るので、上着を掛けてあげる。「えへへ….ありがとう。めっちゃいい匂いするね。//」うーん、普通にかわいいなぁ。これが俗にいう、天使物件なのか?新幹線で読んでブログにそんなことが書いてあった。
Barに移動してからは、お互いの仕事の話、身の上の話、恋愛の話などをした。明日仕事だから、寝る場所探さないとね…とジャブ。「え?新宿で探すの?」ああ、なるほど。「そしたら、東高円寺かな。」全く抵抗なく、いいんですか?という反応。
ドリンクを2杯飲んで、手をつなぎタクシーを探す。
シャワーを浴びて、ベッドイン。ギラ。ノーグダ。
あまりにもあっさり。胸は歴代2位くらいに大きかった。2の華奢な体型を考えると、あり得ないくらい大きい。しかも柔らかく、極上。美味しくいただいた。
「…また会ってくれますか?」
行為が終わった後、こんな風に聞かれた。年下で可愛くて優しくて体も魅力的、そして後輩気質が感じられる敬語。断るわけがない。ただ、はやり私は女性を見る目がなかったようだ。
その3日後に、突然会うことになった。「仕事のことで嘘ついてました。」嘘をつくことはよろしい。むしろ、見知らぬ男性にほいほい自分の情報を公開するほうが異常だ。気になるのはその時の態度。尋常じゃないくらい落ちている。理由は会ってから解った。
彼女は私に惚れている。結婚したいとまで言ってきた。そして、私から嫌われることを極端に怖れている。目が笑っていない。
私は、まだそれほど彼女に好意を抱いていないことを告げる。(一時的な付き合いとしては好きだが、長期的となると話は別である。)残念がる彼女。それでも、その晩、あちらから求めてきた。
「上に乗りたい」と言ってきたので、乗せる。自分で動いて喘いでいるのが、とても艶めかしい。その後、寝バックに移行。ふたりとも気持ちよくなって終わった。彼女が物足りなさそうだったので、手でしてあげた。「上手すぎます…//」そんなことを言ってきた。男としてこれほど嬉しいことはない。
ピロートークで気になっていたことを聞いてみた。なぜ私についてきたのか。なぜ初めて会った日に呼び出してきたのか。彼女の答えはこうだ。「すごいタイプだった。」
なるほど。これが本音であるならば、私はナンパに成功したとは言えない。それほど乗り気でない相手を乗らせてこそ、本物のナンパ師というものだ。(別に、ナンパ師をめざしているわけではないが。)
彼女は私と付き合いたいと思っているが、私が応じることはないだろう。残念ながら。付き合うことの意味、彼女の人生観、価値観、努力の総量…そういった含蓄があまりに乏しいからだ。チバさんが「人工甘味料みたいな女の子」という表現を使っていたのを思い出す。食べるには甘い。しかし、それ以上の深みや面白みが薄いのだ。
二人で長い人生を歩む時、それではあまりに虚しい。私は味わい深い人生を贈りたいと思っている。彼女は私から本を借り、知識をつけようとしているが、生来の気質的にいずれ無理が来ると思う。過去の経験から分かるのだ。無理をして維持する関係は、いずれ擦り切れ破綻する。
どうやって2の気を削ぎ、離れさせるか。少し気が重い朝だ。
春のナンパ祭り@新宿
私が愛読している「新宿ナンパ戦争」の発行者チバさんが、このようにおっしゃっていた。
「これから1週間は、青田買いの季節。みなさんこのチャンスを逃さずに!」
素直な私は、チバさんの指示に従うことにした。本日、地元から東京に戻ってきたばかり。移動疲れもあったが、ナンパせずにはいられない。だって、青田買いの季節だもの。ーみつを
と、まぁおふざけはこのくらいにして、本題に入ろう。
今日も新宿ナンパだったが、相変わらずのスロースターター。地蔵の時間が長すぎて泣きそうになった。すこし仕事をして、ナンパをスタートしたのが、20時ちょうど。それから1時間30分位地蔵だった。
剥き出しの本を持った文学系美女…キャリーケースを引いた色白美女….20代後半の美人OL….みすみすチャンスを逃しまくっていた。
と、そこに色白童顔女子。バチッと目が合う。いくしかない。
いい加減、自身の地蔵に嫌気が刺した私は、エイヤと声をかける。「こんばんは!」と笑顔で堂々と声をかける。…どうだ?
ガンシカ。
うっ…。一瞬怯んだ。しかし、女性は最初断る生き物。前回のナンパで学んでいる。ダメージを受けていないふりをして、次々と声をかける。
「めっちゃキレイだと思って」「友達と待ち合わせてたんですけど来なくて」「お姉さんお帰りですか?」
色白童顔女子、まったく動じず。春のガンシカ祭りとはこのことか。チバさん!青田買いの季節って本当かい?!
ただ、これで勢いをつけることができた。さぁ。次だ。
気分を変えるために、場所移動。JRの中央東口の方へ移動した。そして、曲がり角を曲がろうとした時、これまた色白童顔女子②。服はなんとロング白シャツ1枚という色気溢れる格好だ。
急いで後をつける。近くでよくよく見ると、なんかブラすけてないか…ヒールも高いし、ガールズバー系の人だろうと推測。そそる。決めなければ。
チバさん十八番の「運命トーク」を使用。
「お姉さん!こんばんは!さっきそこですれ違って、めっちゃキレイやと思って、何か知らないけど追いかけてきちゃいました!」
少し驚く色白童顔女子②。
「お仕事ですか?」と続けた。
2「いや、」
私「待ち合わせ?」
2「そうです」
私「もしかして彼氏?」
2「いや、友達です」
私「えーそうなんだ!」「友達ってことはアレ?ガールズトーク?」「恋愛の話?それとも仕事の話?」
最初の声掛けでは、とにかくスピードが大事だ。セオリー通り、まくし立てる。ただ、私は頭の回転も早くないし、早口でもない。ところどころ噛みまくっていた。まるで緊張してオドオドしているみたいだ。ここは要改善である。
2「あはは^^ まぁガールズトークです。」
私「へーいいね!」(我ながら、全く中身のない会話だ)
「お仕事何してるの?僕、***してるんですけど!」(聴いてばかりはいけない。ここで自己開示を挟む。)
2「へーそうなんですね!私、建築系です!」
私「建築系?そしたら、オリンピック前で忙しいんじゃない?」
2「あはは、そうなんですよ」
私「お疲れ様やね〜」
2「え、というか彼女います?」
まさかの2から質問。まんざらでもない様子。
私「うーん、ついこの間、30人目の彼女ができた…とか言いたかったけど、つい最近別れたばかり。結婚考えてた彼女と。」
2「え、本当なんですね?」
私「うん、本当だよ〜^^(もちろん嘘である)」
2「そうなんだ〜」
私「え、お姉さんは??」
2「いないです。」「つい最近別れたばかりで。」
私「え!まじで?周りがほっとかないでしょう」
2「3年くらい付き合ったんですけど。」
私「え?!本当!?俺も同じ!3年半付き合った!笑」
2「(笑)声でかいwww」
私「え、一緒だね^^」
2「本当ですね^^」
私「え、友達とどこで待ち合わせしてるの??」
2「えーとアルタ前ですね」
私「じゃあそこまで一緒に歩く^^」
2「はい^^」
おお…非常にスムーズ。これが青田買いの季節ですかチバさん!!
私「今日は、何時まで飲みの?もしよかったら、友達の後、どう??」
2「いや、それは申し訳ないです。待たせるのは。」
私「そんな気にしなくていいのにww(...めっちゃええ子や。)」
2「いやいや><」
ここですでに関係性が決まっている。私が上で彼女が下。おそらく、彼女はM体質なのだろう。
私「そしたら、LINE交換して後日どう??」
2「いいですよ〜」
…といいつつ、すぐにLINEを交換するわけではない。あくまでこちらに主導権があるように振舞う。
私「というか、服良い感じですね。」
2「え、ありがとうございます。今日ミスっちゃったな…と思って。寒いかなと思ったんです。でも、暖かくてよかった。」
私「そうだね^^(ニコニコ)」
私服でこんなエロい格好する子いるんだ…と妙に感動。
そんなこんなで、ほどよく和みつつ、アルタ前に近づく。
私「え、絶対ご飯行こうね。3年同士、語らなきゃ!笑」
2「本当ですよね。行きましょう。」
…と離れ離れになりそうだったが、2が中々アルタ前に向かわない。そして、察する。スケジュールをしっかり決めないといけない。
2「え、絶対行きましょうね。」
私「おお、そうよ。もうスケジュール決めなきゃ。」
2「4月のほうが助かります。」
私「そしたら、土曜日は?」「4月1日でもいいね。あ、でも夜行バスだ。」
2「うーん、ゆっくり話せる時がいいですね。」
食いつきすごい!え、何が起こってるんだろう?私のことがタイプなのだろうか?
私「うん、じゃあとりあえずそこで!友達と楽しんできてね!」
・
・
・
という感じで今に至る。さすがに食いつきが良すぎるので、新宿で待機している。まだ既読はつかないが、ギリギリまで待っていようと思う。どこかのナンパブログで書いてあった。
「あの時、チャンスを逃さなければ…」
鉄は熱いうちに打つべき。私自身も、それで痛い目に会ったことがある。さて、どうなるか。
ストーリーが人を魅了する
人は、昔からストーリーに慣れ親しんでいる。
幼少期、親から絵本を通じ、ストーリーを語ってもらう。それだけではない。私たちは自分が生まれる以前からストーリーに慣れ親しんでいる。
父なる神の物語。東欧神話。エジプト神話。ギリシャ神話。日本神話。
ストーリーが私たちのエートスを形成しているのだ。そして、興味深い研究データがある。ストーリーに触れた時、特に私たちの脳が活性化するというのだ。小説を読むことで、長期的に脳を変化させるという研究結果もある。
つまり、ストーリーとは、情報伝達の手段として特異であり、私たちはそれを十分に活用すべきなのだ。
ダンバー数というものがある。人は100人程度の群れしか作れないというものだ。この数を越えて互いを繋ぐのにも、ストーリーが威力を発揮する。キリスト教、イスラム教、仏教…なぜ宗教が成り立つのか。それは、ストーリーを語っているからである。
単なる出来事の羅列では、これほどの信奉者を集めることはできなかったであろう。ストーリーにすることで、出来事の羅列に命を吹き込み、読み手の脳内を躍動させる。結果、読み手は明確に、印象深い教訓を得ることができるのだ。(強制的に得させられると言ってもいい。)
ドラマやアニメ、漫画に心惹かれるのは、そのためである。無味乾燥な専門書より、よっぽど刺激に満ち、カラフルで立体的だ。
自己紹介を魅力的にしたいなら、人生のストーリーを語ればよい。
部下にわかりやすく説明するなら、ストーリーを語ればよい。
パートナーに愛を語るためには、ストーリーを語ればよい。
ますますコミュニケーションが難しくなる中、私たちが磨くべきは、ストーリーテリング力なのである。
金曜夜はナンパ戦争@雨の新宿
私はナンパが大好きだ。
見ず知らずの女性に話しかけるのは勇気が要る。しかし、それを乗り越えられれば、甘い甘い果実を得ることができるからだ。
ベッドインが目的ではない。笑顔で会話ができれば、それだけで満足だ。
先ほどまで、お互いのことを知らなかった男女が、笑いあって話すなど奇跡。何百万、何千万、何億万分の一の確率…そんな一縷の出会いを掴み取ることができる。それが、ナンパだ。
と言っても、私はそれほどナンパが得意ではないが。
そんな私が、金曜日の夜、必ず見ず知らずの女性1人に声をかけることを自分に課しているのには、3つ理由がある。
1つは、単純にナンパスキルの向上。
1つは、ナンパによるコミュニケーション能力向上。
もう1つは、セカイ体験による人間的魅力の向上である。
ナンパスキルの向上は、人生の必須要件だ。女性好きの私としては、人生にナンパは欠かせない。
次に、コミュニケーションスキルについて。元来、私はコミュニケーションが得意な方ではない。見ず知らずの人とすぐに話に行く弟を見て、私にはあんなことできない…などと思ったものだ。しかし、これからの世界でコミュニケーション能力が低い人間は必ず不利を被る。社会がローコンテクスト化しているからだ。私たちは、見ず知らずの人間と、話し、理解し、協力する能力が求められる。
そんなわけで、手っ取り早くその能力をつけるために、ナンパを行っているわけだ。
第三に、セカイ体験。セカイ体験とは何か分からないと思うので、ざっくりと説明したい。私たちは普段、何の刺激もない平凡な日常を生きている。全てが予定調和な社会を生きている。そんな生き方をしていると、だんだんつまらない人間になってしまうのだ。だから、そんな社会の枠を飛び出して、予定調和ではない、刺激に満ちたセカイを体験する必要がある。セカイ体験を多く積んだ人間は、セカイに対する信頼が厚い。それは自信となってその人のオーラに表れる。そして、そういう人が概して魅力的な人間なのである。
私は、魅力的な人間でありたいし、自身の人生を通り一遍のつまらない人生にしたくはない。適度な刺激は、精神にもメリハリを与えてくれる。女性を魅了する意味でも、セカイ体験を積むことはメリットしかないのだ。
そんなわけで、私はナンパをしている。ただ、大抵の男がナンパときいて怯むのと同じく、私もナンパに苦手意識を持っている。
よく見たらタイプじゃないな…と自分に言い訳したり、美貌にビビって話しかけられなかったり。一声かけるだけでも、鼓動を制御できなくなる。
話は逸れるが、あの時のドキドキ感は、バスケットボールの試合が始まる前の高揚感に似ていると思う。サイドラインに並び、コートに挨拶をする。センターサークルを中心に、相手チームと向き合って整列。そして、挨拶。ボールが放られるまでのあの刹那、アドレナリンとドパミンが一気に噴出され、得も言われぬ快感が全身を包み、鳥肌が抑えられなくなる。
だからナンパは止められない。
今日は、あまり調子が良くなかった。雨というのもあって、なかなか声をかけづらかった。傘を持たずに歩いている美女をみかけては、「お姉さん、風引いちゃうよ?」と声をかけようとした。しかし、なかなか声を書けられず、2時間くらい歩き回っていた。
1人でも声をかけないと帰ることができないので、勇気を振り絞ることにした。ターゲットは、あの大人っぽい女性にしよう。
JR新宿駅東口地上出口から丸ノ内線へ向かう交差点に、彼女はいた。
毛先にパーマをあて、服はコンサバ系。いかにも美人なオーラを出していた。一瞬怯む。信号が赤だったので、声をかけるタイミングを伺った。すると、前にいた男性がその女性に声をかけた。後ずさりながら無視されていた。それを見た私は、更に迷う。しかし、この女性に決めたからには行くしかない。
「お姉さん、傘持ってないんですか?」と声をかける。前の男性と同じく、身動ぎしながらの無視。「風邪引いちゃいますよ?よかったら入りませんか?」すると、「いや、いいです。」と控えめな返答。それでも負けずに、「いや、めっちゃ寒そうな顔してますやん!入って入って。どこまで行くの?あ、あそこまで?じゃあそこまで送りますよ」と半ば強引に押した。すると、その女性も断りきれなかったのか、私の傘に入り抵抗しなくなった。
そして、駅につづく地下道への入り口まで送ったら、「ありがとうございました。ありがとうございました。」と何回も感謝された。見ず知らずの男性にそこまで感謝するとは、とても丁寧な人だなと思った。
あと、今回の件で実感したことがある。それは、どんな女性でも”必ず一回断る”ということである。これは、防衛本能だろう。しかし、それに怖気づいていては、男として失格である。彼女らにオスとして認識してもらうためには、ひるまずに押し続ける必要がある。堂々と胸を張り、さも当然のごとく口説き続ける姿勢が大切なのだろうと感じた。
たった2時間ちょっとで、これだけの経験を得られるのだから、やはりナンパには価値がある。
命は金よりも軽い
9.11テロは、アメリカが画策した自作自演のテロだという説がある。
国際貿易センターに飛行機が突っ込んだ際、「あぁ、これで戦争が始まる」と思った人は数知れないだろう。そして、アメリカの軍事産業は活況を極めることとなった。
これはあくまで推察の域を出ない。アメリカが軍事産業で儲けるために、自国民を犠牲にしたと断定することはしない。しかし、世界のどこかしこで、命と引き換えにカネを得ようとするドス黒い考えがはびこっているのは間違いない。
それを見事に表したアート作品がある。
私が好きな作家 会田誠氏の『Jumble of 100 Flowers』である。
会田氏の作品では、美少女は価値あるもののメタファーとして用いられる。この作品では、おそらく命を表していることだろう。
そして、美少女たちは、この絵に登場しない”何者か”によって射撃を受ける。腹わたが溢れるもの、首が吹き飛ぶもの、半身がちぎれるもの…残虐なシーンを描いている。通常の思考であれば、少女たちは、苦痛の表情を浮かべるに違いないと思うはずだ。しかし、この絵では、そうなっていない。
少女たちは、満面の笑みすら浮かべているのだ。彼女たちは、何か大切なものが失われようとしていることに気がついていないのだろうか。
また、狙撃を受けた部分からは、ダイヤモンドやおカネやイチゴが飛び散っている。
命が消えようとするその瞬間、命が別のモノに交換されている。命はかけがえのないものという観念を完全に無視した世界が、この絵には広がっている。
しかし、これが現実ではなかろうか。
資本が重視され、効率が重視され、何か私たちの大切なものが失われている感覚はないだろうか。それは命かもしれない。命とはいかないまでも、私たちの尊厳に関わるようなものであると直感せずにはいられない。
私たちは、何を失いつつあるのだろうか。
古き良き日本よ 崩壊しないでくれ
先の記事の内容は、本来書く予定だったものから大きく外れてしまった。なので、今回の記事でそのことについて記したいと思う。
今現在、自己啓発が流行っている。
「7つの習慣」だの「嫌われる勇気」だの「GRIT」だの。恥ずかしながら私も、これらの本に傾倒していたことがあった。
なぜこれほど自己啓発がもてはやされているのか?ズバリ、社会が不安定化しているからだ。
これまでの日本人は、右肩上がりに成長し、将来を楽観視してきた。しかし、高度経済成長期が終わった頃から20年以上デフレが続いた。そして、一億総中流と言われた時代と一転し、勝ち組と負け組がはっきりと分かれる時代に突入したのだ。誰があえて負け組になることを選ぼうか?皆、勝ち組になることを目指し、自己研鑽を重ねるようになった。
この社会情勢にぴったりと一致するのが、欧米流の自己啓発である。
この自己啓発は、もともとプロテスタントの予定説が源流だ。「あらかじめ、神に選ばれたものしか天国へ入ることはできない」という予定説は、実に無慈悲なものである。神を信じる人々は、この教えを聴いて落胆した…かというとそうではない。なんと規律正しく、内的なモチベーションに従い、努力を積み重ねるようになったのだ。いったいなぜか?それは、「私は神に選ばれた存在である」と信じ込むためである。神に選ばれるような人間は、勤勉かつ努力家かつ倫理を重んじ、他者へ貢献するような人格的に優れた人物である。だから、この私が天国に行くと信じるためには、それに近づくように努力する他なかったのだ。
というわけで、自己を啓発し、偉大な人物になるためには、欧米流の自己啓発がぴったりなのである。そして、この考え方は、仕事にも通ずる。「天職」といった考え方は、まさにプロテスタンティズムの産物である。「天に定められた仕事に邁進し、偉業を成し遂げることこそ、神に認められし私がなすべきことである」といった風だ。
日本でも勝ち組を目指す以上、自己を啓発しないワケにはいかない。内的なモチベーションに従い、自らを成長させる必要があるからだ。
そこで、自己啓発の風が吹くようになった。ただし、日本には欧米のような神の存在はない。この違いが致命的だった。神不在の自己啓発は、残酷な結果を生み出すこととなる。
「頑張れないヤツは人間のクズだ」
極端に言えば、このような価値観がはびこることになる。ダラダラしているのがなんとなくダメなことだと思い込まされる社会になってしまった。リラックスしようがない窮屈な社会だ。資本主義も相まって、完全競争社会に突入した。寝ても覚めても努力を強制される私たちは、息絶え絶えだ。
元来、天変地異に運命を左右されてきた日本人は、場への適応を得意とする民族である。逆に、内的なモチベーションをもとに、将来の計画を立て、コツコツとこなすような民族ではない。にもかかわらず、現在の社会構造的に、内的な啓発を求められる。
なんと嘆かわしいことだろう。しかし、この構造さえ把握していれば、無理をすることもなくなる。頭の片隅に置き、精神の安寧を確保したい。