これからの人生の話をしよう

平凡なリーマンが綴る 人生についての考察ブログ

エロスの根源

ここに1本のアダルトビデオがあるとしよう。

 

どんなジャンルでも構わない。あなたの好きなアダルトビデオを思い浮かべよう。そして、ビデオをデッキに挿入し、再生するところを想像してほしい。

 

そのアダルトビデオは、どんなシーンから始まるだろうか?おそらく、初めから真っ裸ということはないだろう。女優は服を着ており、男優がそれを一枚一枚脱がせていくはずだ。


女優の白い肌が、徐々にあらわになる。私たち男性は、それに歓喜し、ジュニアを反り立たせるだろう。

 

ただ、ここで一旦、ジュニアを収め、改めて考えたいことがある。


私たちは、女優の白い肌それ自体に興奮しているのだろうか?それとも、先刻ついぞ見ることのなかった肌が、あらたになったことに対し、興奮しているのだろうか?


答えは、後者だ。


もし、ビデオの最初から白い肌があらわになっていたら、私たちはそれほど興奮することはない。このことは、簡単な例で実感できる。


アマゾン奥地に住む部族の女性は、だいたい乳を丸出しにして生活している。しかし、この様子を見たところで、私たちのジュニアはピクリとも反応しないだろう。例が極端と言うのなら、同じ日本人の例で考えても良い。結論は同じだろうから。


剥き出しの乳には何の価値もない。乳が下着で覆われ、衣服で隠蔽された際、私たちは乳を隠匿する布を剥ぎたいと欲望し、秘められたそれにむしゃぶりつくのだ。


価値は、反価値とのコントラストによって、初めて知覚可能となる。